2010年 04月 03日
Sinakulo
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今日もイースター(キリストの復活祭)のお話です。
昨日はGood Friday;聖金曜日と呼ばれる日で、
聖書のお話ではイエス・キリストが人類の罪による犠牲になって、
ローマ人により苦しみを受けて十字架につけられて葬られた日。
この日は、フィリピンのあちこちで「Sinakulo」と呼ばれる
「キリストの受難劇」が行われます。
そのうち最も規模が大きく且つ世界的に有名なのが、
マニラから北へ70km弱行ったところにある
Pampanga パンパンガ地方のもので、もう40年以上も続いているとか。
というわけで、一度は見て見ようと
J-kunとLolo(おじいちゃん)と行ってきました(仁奈はまたまたお留守番)。

ここからは、少し生々しい写真が出てきますので、
ご興味のある方だけどうぞ。
何故この行事が世界的に有名なのかというと...、
それは単なる「劇」に留まらないからです。

そもそも、「自分を犠牲にすることによって救われる」という究極な考え方
(カトリックの古い考え方の一つ)に基づいているもので、
多くの志願者が、背中に小さな刃物で切り傷をつくり、
その上を細い木の棒を縄にしばりつけたものでたたいて
自分を痛めつけ流血しながら町を裸足で歩きます。
そして、これは自分の内なる信仰の一環として行っているので、
皆顔は隠しています。

最初は赤いペンキかと思ったけど、
近くに行ったらそれが「ホンモノ」であることはすぐにわかりました。
では「キリスト役」はどうなのかというと、
これも実は志願者によるもので、
聖書のお話の通り長い道のりを十字架をかついで歩き、
最後には本当に「釘で」十字架にはりつけにされます。

そして、それは一人に留まらず、
それぞれ家族に囲まれながら十字架の道を歩いて行きます。

ローカルテレビ局も海外のテレビ局からも取材に来ている人が多く、
儀式の前にインタビューを受けている何人かのキリスト役の人たちがいました。

この方は、もう20年この行事に参加されているようで、
釘をうちつけられた跡が手と足に深く残っていました。

そしてこの青年は、去年亡くなった父の魂のためにやりますと。
生前の父の全ての罪を償うために、自らが犠牲になりますと、
お父さんの写真を常に握りしめながら話していました。
彼の言葉を聞いて、思わずグッとこみあげるものがありました。
そしてインタビューの後、彼に
「これであなた自身の心に平穏が戻ることを祈っていますよ。」と伝えました。

この「自己犠牲」の信仰は究極で且つ古いものらしく、
こういうことがカトリック信仰で/フィリピンで
日常的に行われているわけではありません。誤解のなきよう。
この行事自体もカトリック教会の総本山であるバチカンでも推奨されていません。
でも、人々の強い信仰をとめることもできないのが現実。
彼らがそれぞれの強い思いをもって、
自らを痛めつける姿を見ながら、
また色々と考えさせられた一日でありました。
信仰って、いろいろよ...ね。
さてさて、ディーブなお話はこれにて終了。
明日はいよいよイースター当日。
仁奈は、はじめて「イースターエッグハント」へ行ってきます。
HAPPY EASTER ♪
**************************************
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昨日はGood Friday;聖金曜日と呼ばれる日で、
聖書のお話ではイエス・キリストが人類の罪による犠牲になって、
ローマ人により苦しみを受けて十字架につけられて葬られた日。
この日は、フィリピンのあちこちで「Sinakulo」と呼ばれる
「キリストの受難劇」が行われます。
そのうち最も規模が大きく且つ世界的に有名なのが、
マニラから北へ70km弱行ったところにある
Pampanga パンパンガ地方のもので、もう40年以上も続いているとか。
というわけで、一度は見て見ようと
J-kunとLolo(おじいちゃん)と行ってきました(仁奈はまたまたお留守番)。

ここからは、少し生々しい写真が出てきますので、
ご興味のある方だけどうぞ。
何故この行事が世界的に有名なのかというと...、
それは単なる「劇」に留まらないからです。

そもそも、「自分を犠牲にすることによって救われる」という究極な考え方
(カトリックの古い考え方の一つ)に基づいているもので、
多くの志願者が、背中に小さな刃物で切り傷をつくり、
その上を細い木の棒を縄にしばりつけたものでたたいて
自分を痛めつけ流血しながら町を裸足で歩きます。
そして、これは自分の内なる信仰の一環として行っているので、
皆顔は隠しています。

最初は赤いペンキかと思ったけど、
近くに行ったらそれが「ホンモノ」であることはすぐにわかりました。
では「キリスト役」はどうなのかというと、
これも実は志願者によるもので、
聖書のお話の通り長い道のりを十字架をかついで歩き、
最後には本当に「釘で」十字架にはりつけにされます。

そして、それは一人に留まらず、
それぞれ家族に囲まれながら十字架の道を歩いて行きます。

ローカルテレビ局も海外のテレビ局からも取材に来ている人が多く、
儀式の前にインタビューを受けている何人かのキリスト役の人たちがいました。

この方は、もう20年この行事に参加されているようで、
釘をうちつけられた跡が手と足に深く残っていました。

そしてこの青年は、去年亡くなった父の魂のためにやりますと。
生前の父の全ての罪を償うために、自らが犠牲になりますと、
お父さんの写真を常に握りしめながら話していました。
彼の言葉を聞いて、思わずグッとこみあげるものがありました。
そしてインタビューの後、彼に
「これであなた自身の心に平穏が戻ることを祈っていますよ。」と伝えました。

この「自己犠牲」の信仰は究極で且つ古いものらしく、
こういうことがカトリック信仰で/フィリピンで
日常的に行われているわけではありません。誤解のなきよう。
この行事自体もカトリック教会の総本山であるバチカンでも推奨されていません。
でも、人々の強い信仰をとめることもできないのが現実。
彼らがそれぞれの強い思いをもって、
自らを痛めつける姿を見ながら、
また色々と考えさせられた一日でありました。
信仰って、いろいろよ...ね。
さてさて、ディーブなお話はこれにて終了。
明日はいよいよイースター当日。
仁奈は、はじめて「イースターエッグハント」へ行ってきます。
HAPPY EASTER ♪
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by kanabomanila
| 2010-04-03 18:38
| フィリピンの習慣・文化