2011年 09月 04日
Jose Rizal
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さて、「88温泉」はラグーナ地方のCalamba カランバという街にありますが、
実はここ、歴史的に有名な「あるもの」があります。
それは、こちら。
1階部分が石作りで、上が木造。
そして窓は全てカピスシェルと、典型的な昔の裕福なスペイン風の家。
街の教会の真横に建つこの家は(それだけ教会にも影響力があった証拠)、
フィリピンの国民的英雄の1人
「Jose Rizal ホセ・リザール」の生まれ育った家なのです。
フィリピンに住んでいたら、
何度となく彼の名前は聞いているはず。
あちこちに彼の銅像もあるし、
彼の名前を使った建物もあるし、
フィリピンの1ペソコインにのっている人物も彼。
ホセ・リザールは、1861年6月19日に裕福な家庭に生まれ
(今年は生誕150周年記念であります)、
のちに医師・著作家・画家となり、
スペイン統治時代にフィリピン人の生活改善、
及びフィリピンの独立を目指すために
多くの人に影響を及ぼしました。
積極的な暴動を引き起こしたわけではないものの、
スペイン統治者達はリザールの思想は植民地支配を脅かすものとみなし、
フィリピンで独立闘争が始まった1896年に銃殺刑が宣告され、
その年の12月30日に銃殺されました。
(その跡地は「Rizal Park ・ Luneta Park」
「リザール公園・ルネタ公園」と呼ばれる公園になっています。)
それ以来、彼は国民的英雄として讃えられている人の1人で、
(彼以外にも、祖国のために亡くなった国民的英雄はいますが)
フィリピン人にはとても重要な歴史的人物なのであります。
そんな彼の生まれ育った家が温泉のすぐ近くにあり、
J-kunは小学校の遠足で一度だけ、
ドライバーとメイドさんたちは一度も行ったことがない!
ということだったので、
それじゃぁ歴史の勉強も兼ねて行ってみようということに(入場無料)。
もともとの家は第二次大戦でほとんど破壊し、
昔の文献資料などをもとに再建築されたとのことですが、
家具類はリザール家が使っていたものがそのまま残され、
彼らの生活を垣間みることができます。
ホセ・リザールが生まれたベッド、
昔ながらのミシン、
料理に使われてた陶器などなど。
その中でも目についたのが、こちら。
これ、何かわかりますか?
ダイニングテーブルの真上の天井からぶら下がっていました。
答えは
「Fan うちわ」
端にロープを縛り付けて、
前後にゆらして風をおこすのです。
家族がご飯を食べている間、
誰か使用人がこのロープをリズムよくひっぱり、
涼しい食卓作りに貢献していたとか。すごぉ〜
まっ、こんなのがあるってかなりお金持ちだった証拠よね、笑。
ちなみに、ホセ・リザールはヨーロッパへ医学を学ぶために留学し
(それだけお金持ちだったということ)、
パリにも彼の名前の通りがありました。
カランバへ行かれた際には、
ぜひホセ・リザールの家ものぞいてみて下さい。
(20〜30分程度でまわれる大きさですヨ)
*****************************
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それは、こちら。
1階部分が石作りで、上が木造。
そして窓は全てカピスシェルと、典型的な昔の裕福なスペイン風の家。
街の教会の真横に建つこの家は(それだけ教会にも影響力があった証拠)、
フィリピンの国民的英雄の1人
「Jose Rizal ホセ・リザール」の生まれ育った家なのです。
フィリピンに住んでいたら、
何度となく彼の名前は聞いているはず。
あちこちに彼の銅像もあるし、
彼の名前を使った建物もあるし、
フィリピンの1ペソコインにのっている人物も彼。
ホセ・リザールは、1861年6月19日に裕福な家庭に生まれ
(今年は生誕150周年記念であります)、
のちに医師・著作家・画家となり、
スペイン統治時代にフィリピン人の生活改善、
及びフィリピンの独立を目指すために
多くの人に影響を及ぼしました。
積極的な暴動を引き起こしたわけではないものの、
スペイン統治者達はリザールの思想は植民地支配を脅かすものとみなし、
フィリピンで独立闘争が始まった1896年に銃殺刑が宣告され、
その年の12月30日に銃殺されました。
(その跡地は「Rizal Park ・ Luneta Park」
「リザール公園・ルネタ公園」と呼ばれる公園になっています。)
それ以来、彼は国民的英雄として讃えられている人の1人で、
(彼以外にも、祖国のために亡くなった国民的英雄はいますが)
フィリピン人にはとても重要な歴史的人物なのであります。
そんな彼の生まれ育った家が温泉のすぐ近くにあり、
J-kunは小学校の遠足で一度だけ、
ドライバーとメイドさんたちは一度も行ったことがない!
ということだったので、
それじゃぁ歴史の勉強も兼ねて行ってみようということに(入場無料)。
もともとの家は第二次大戦でほとんど破壊し、
昔の文献資料などをもとに再建築されたとのことですが、
家具類はリザール家が使っていたものがそのまま残され、
彼らの生活を垣間みることができます。
ホセ・リザールが生まれたベッド、
昔ながらのミシン、
料理に使われてた陶器などなど。
その中でも目についたのが、こちら。
これ、何かわかりますか?
ダイニングテーブルの真上の天井からぶら下がっていました。
答えは
「Fan うちわ」
端にロープを縛り付けて、
前後にゆらして風をおこすのです。
家族がご飯を食べている間、
誰か使用人がこのロープをリズムよくひっぱり、
涼しい食卓作りに貢献していたとか。すごぉ〜
まっ、こんなのがあるってかなりお金持ちだった証拠よね、笑。
ちなみに、ホセ・リザールはヨーロッパへ医学を学ぶために留学し
(それだけお金持ちだったということ)、
パリにも彼の名前の通りがありました。
カランバへ行かれた際には、
ぜひホセ・リザールの家ものぞいてみて下さい。
(20〜30分程度でまわれる大きさですヨ)
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by kanabomanila
| 2011-09-04 13:53
| フィリピン人